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2012年2月

979 西葛西から荒川を渡る

”点状の灯火見上げて息一つ我が家の灯り探す夕闇”

 東西線の西船橋から都心に向かって地上区間の最後の駅になります。開業当初にはなかった駅ですが、南行徳と同様に沿線の人口が急増したことに伴って設置されました。
 西葛西を出るとすぐに荒川の鉄橋を渡ります。この橋梁は1300メートル弱ととても長く、開業当初は私鉄では日本で一番長い鉄橋でした。
 現在では東京湾の埋め立てが更に進んで東西線よりも海寄りにJRの京葉線が走っていますが、いずれにしても東西線が荒川を渡る辺りは河口に近い場所で、川幅も広くなっていますから必然的に鉄橋が長くなったものと思われます。
 この鉄橋を東西線はフルスピードで駆け抜けていきます。東京の地下鉄の中で唯一時速100㎞で運転される路線ですから迫力があります。
 高速運転を可能にしているのは、地上区間が全線高架であって踏切がないことと、駅間距離が長いことにあると思います。
 現在では駅数が増えて駅間距離も短くなっていますが、それでも快速電車は通過駅が多いのでトップスピードで走り、結構な爽快感が味わえます。
 東西線が開通した頃に何度か利用したことがありますが、その頃には高層のマンションなどはなく、湿地帯の中を快速電車が疾走していた記憶があります。

 さて、次は南砂町・・・新旧入り交じって・・・

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978 葛西で出発進行

”高架下シミュレーションに興じたる親子共々満面の笑み”

 鉄道好きなら誰でも憧れるのが電車の運転ではないでしょうか。アーケードゲームでヒットし、その後家庭用のゲームソフトにもなった「電車でGO」がありますが、筆者も一時期専用のコントローラーまで購入して嵌っていました。もうひとつ実写映像を用いた「トレインシミュレーター」も筆者の好きな作品でしたが・・・
 ゲームの名称にもなったトレインシミュレーターは、運転士の教育訓練用に多くの鉄道会社がゲームよりももっと精巧なものを導入しています。プログラミングでは様々な異常事態の設定もできるとのことで実車の運転台がセットされています。
 電車を運転するには資格が必要となり、様々な訓練を要しますから、一般の人がそういう機会に恵まれることはほぼ皆無です。
 それでもシミュレーターであれば体験は可能ですから、最近では運転士の訓練センターを一般公開して体験させてくれるところもあります。
 それと共に鉄道をテーマにした博物館でもシミュレーターの導入が進み展示の目玉になっています。
 休日にはシミュレーターに長い列ができ、多くの子供達が・・・と思いきや大人も混ざって今か今かと順番を待っています。子供の頃に抱いた運転士への夢は大人になっても変わらないということでしょうか。
 葛西駅のガード下にある地下鉄博物館には、大型のシミュレーターが置いてあります。大人も子供も目を輝かせて、停止位置に一喜一憂しています。

 さて、次回は西葛西・・・長い鉄橋・・・

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977 浦安青ベカ物語

”べか船の絶えて久しき川端に名残止める青柳の殻”

 山本周五郎の小説「青ベカ物語」は浦安を舞台としていて、そこに暮らす市井の人々の生業が描かれています。
 作中、「浦安」は「浦粕」、隣町の「行徳」は「徳行」として登場しますが、前回の行徳共々浦安は旧江戸川と共に発展してきた町です。
 最近の浦安といえば東京ディズニーリゾートが所在していることでその名を全国に轟かせていますが、そこを含めたニュータウンは更に東京湾に近いJRの京葉線沿いになります。
 東西線の浦安駅周辺は「青ベカ物語」に描かれた街の中心部に近いところにあります。小説のタイトルとなった「青ベカ」とは、海苔の採取に用いる「ベカ船」からきています。今では高級品にもなった江戸前・・・東京湾・・・の海苔ですが、船橋から浦安にかけての三番瀬と呼ばれる海域が優れた漁場とされていて、現在でも周辺の漁師さん達が海苔の養殖をしています。
 海苔の他にはアオヤギという貝も収穫されていて、剥き身の作業に追われる地元のご婦人達が今でもいらっしゃるようです。
 昔ながらのベカ船は影を潜めてしまいましたが、現在も海苔やアオヤギを収穫する小舟が旧江戸川や水路を行き来しています。

 さて、次は葛西・・・出発進行・・・

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976 乗れるかな?南行徳

”ギリギリに扉閉まりて立ち位置も直せぬままに息は詰まりて”

 朝のラッシュには筆者もほとほと閉口しています。
 始発駅を出てビジネス街の中心の都心が近くなるにつれて混雑の度合いが増していきます。
 都心までの各駅では乗車する一方で下車する利用客が圧倒的に少ないので、分かりきったことながら、それでも何とかならないものかと毎朝愚痴が口をつきます。
 混雑の激しい路線では山手線などのように扉の多い車両を導入して乗降による遅れを何とか少なくする策を講じていますが、東西線では扉の幅が広い車両を導入しています。
 東西線の混雑は首都圏でもトップクラスで、ピーク時には200%近い乗車率に達しています。
 西船橋を出るときには快速よりも各駅停車の方が若干空いている感じがしますが、その各駅停車も途中で多くの人が乗車してくるので最終的には快速と同じような混雑具合になります。
 南行徳は、開通当初にはなかった駅ですが、沿線の人口増加に伴って昭和56年に開業しました。
 朝の上りホームでは、整然と3列に並んで電車を待っています。都心では当たり前の整列乗車ですが、南行徳の場合は、どの駅にも増して列が整然としていた印象があります。この駅から座れることはまずあり得ないところですが、できるだけ前の方に並んでいないと混雑で積み残しの憂き目に遭うことにもなりかねません。そうしたことが、他の駅にも増して整然とした列を作っている一因かもしれません。

 さて、明日は浦安・・・ベカ船が懐かしい・・・

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975 行徳の御輿

”一刀に魂込めて鑿振るひ神を宿した御輿送りぬ”

 行徳は江戸川に面した古くからの漁師町です。元々多くの人が暮らしていて、開通当初に駅が設置されていました。
 旧江戸川沿いに東京湾が近く、今でもその海を生業の場としている人々が多くいるようです。漁業の他にも江戸時代には近くに塩田もあって、それも海に関わる生業であったといえます。
 人が集い街が栄えればそこには昔から様々なイベントが催されていました。その代表的な例が祭りではないかと思います。
 行徳のような漁師町であれば豊漁を願い、また大漁に感謝して祭りが執り行われます。現代のように様々な娯楽がなかった頃には、この祭りを多くの人が楽しんだことと思います。
 全国には様々な祭りもあって奇祭と呼ばれるものありますが、一般的な祭りによく登場するのが「御輿」です。
 神田明神や深川の富岡八幡宮で執り行われる祭りの「御輿」は有名ですが、全国各地の小さな鎮守様のお祭りでも「御輿」は繰り出しています。
 精巧な細工を施された御輿は宮大工の手によって造り上げられますが、この宮大工が行徳の街には数件あります。

 さて、次回は南行徳・・・乗り切れない・・・

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974 妙典は新しい待避駅

”通過待ち開け放したる扉から肩を竦める虎落笛聞く”

 「みょうでん」と読みます。東西線の一番新しい駅で、車両基地に近い場所にあります。東西線の中で西船橋と中野を除くと唯一の2面4線の配線になっていて、この駅を始発・終着とする電車もあります。また、原木中山に代わって、この駅で快速電車を待避するようになっています。
 江戸川の河川敷に接した場所に車両基地があって、電車は中線を通って高架の本線と地上の車両基地との間を行き来します。
 鉄道が通れば街が発展し人も多く集まってきます。東西線が全通した当初は東陽町と西船橋の間には4駅しかなく、駅間距離も地下鉄にしては長かったところですが、現在は同じ区間に7駅あってどの駅も乗降客が多くいます。
 日本橋や大手町といった東京のビジネス街の中心に直通する路線ですから、その利便性が受けて急速に沿線が発展していきました。そして、それが新駅設置に繋がったものと思われます。
 沿線の中には古くから栄えていた街もありますが、そうしたところに開通当初の駅が設置されていました。
 後から設置された駅は、その周辺の街並みが綺麗に区画整理されていて、整然としたニュータウンの印象を持ちます。
 妙典駅周辺もマンションなどが建ち並び、大型のショッピングモールもあって多くの人が行き来しています。

 さて、次は行徳・・・御輿を担ぐ・・・

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973 原木中山で静かな通過待ち


”各駅の開きしドアにゆらゆらと川風淡く麗らかな春”

 かつて筆者は千葉に住んでいましたから、東西線を利用する機会が比較的多くありましたが、最近はめっきり利用する機会が減ってほとんど乗ることがなくなっています。
 ですから、持っている情報は現在のものとはそぐわないところもあるかもしれません。そんな過去の記憶の中からのエピソードです。
 西船橋から一つ目の駅「原木中山」ですが、相対式のホームは上下線とも待避設備があります。
 ラッシュ時は別として、日中はパターンダイヤでの運行ですが、各駅停車は原木中山で快速電車の通過待ちをしていました。
 西船橋行きの各駅停車は快速より時間がかかりますから、原木中山ではかなり車内は空いています。
 駅周辺はお寺などが点在し、静かな佇まいの住宅地です。大きなスーパーなどもなく都心のエアーポケットのようなところです。
 晴れた日の昼下がり、通過待ちの停車中、開いたドアから近くを流れる江戸川の川風が緩やかに流れ込んできます。
 そんなゆったりした時間も捨てがたく、時間に余裕のあるときには敢えて各駅停車を利用したこともありました。

 さて、次回は妙典・・・新しい待避駅・・・

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972 西船橋から快速に乗る

”快速の赤文字隅に細々と遠慮がちなる速達電車”

 今回から東京メトロ東西線です。
 西船橋から進んでいきますが、西船橋は総武線に次いで2首目になり、他に徒歩で連絡する京成線の京成西船も詠んでいます。
 東西線は昭和41年から少しずつ部分開業してきた路線です。南砂町から西船橋までの地上区間は最後に開通した区間で、昭和44年に全線開業しています。
 その地上区間は、地下鉄では珍しく全線が高架線になっていて、高速運転が可能になり快速電車も運転されています。
 初期の車両5000系の快速表示は右全面に赤文字で小さく表示されたていたことを今でも覚えています。
 また、東京メトロ(帝都高速度交通営団当時)では初めて東京23区外に路線を延ばしました。
 都心を東西に貫く路線ということで「東西線」ですが、筆者が子供の頃、兄から「東京と西船橋を結んでいるから、両方の頭文字をとって東西線だ。」と聞かされていました。全くのデマだったわけですが、幼心にはまことしやかに聞こえて、真に受けてしまったことを覚えています。
 総武線や東葉高速鉄道線にも乗り入れる東西線の西船橋はJR線と一体の構造で改札だけが分離されています。

 さて、次は原木中山・・・静かな待避駅

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971 高松定番立ち食いうどん

”玄関を譲りし後も健在の伊予、阿波、土佐の起点となりて”

 中央線の春日居町の記事で触れましたが、全国にはその土地土地の名産品となる麺類があります。蕎麦やうどんにラーメンといった定番の麺類でも、打ち方や太さ、出汁に工夫を凝らした名物が多くあって旅の楽しみにもなっています。
 もちろん、四国はうどんです。「讃岐うどん」と呼ばれているくらいですから、讃岐の国、香川県がその本場になっています。
 コシの強い麺に、関西風の出汁で戴く素朴なうどんですが、何度食べても後を引く一品です。
 最近ではチェーン店が全国各地に出店していて、気軽に食べることができますが、筆者の中では高松駅近くの立ち食い店で食べたものが一番美味しかった気がします。
 高松市民にとって無くてはならないものだと思いますから、街中には大小のうどん屋さんが多く見られます。
 かつて、宇高連絡線の発着地として四国の玄関口だった高松駅、頭端式のホームは今でも四国各地に向かう特急列車の始発駅になっていますが、半数近くは岡山から瀬戸大橋を通って直接四国各線に乗り入れる列車に変わってきています。
 それでも、栗林公園に屋島、そして鉄道ファンには堪らない琴電など魅力も多くあって今でも観光客が多く訪れているようです。
 散策に疲れたらうどん屋で休憩、これが高松の街歩きスタイルかもしれません。

 さて、明日からは東京メトロ東西線を西船橋から・・・高速の地下鉄・・・

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970 信玄公が出迎える甲府

”動ぜずは山の如しと悟りたる武将に恥じる軽佻浮薄”

 「疾(はや)きこと風の如し」、「徐(しず)かなること林の如し」、「侵略すること火の如し」、「動かざること山の如し」・・・元は孫子の句ですが、これを軍旗に用いたのが武田信玄公です。
 甲斐国を納めていた武田信玄公は上杉謙信との川中島の一戦などで極めて有名な武将です。
 現在、その甲斐国は山梨県の県庁所在地となった甲府市、その玄関口の甲府駅前には信玄公の像があります。
 筆者は、信玄公に特に造詣が深いというわけではありませんが、何度となく大河ドラマなどで取り上げられているので、それなりに人物像は知っているつもりになっています。
 それでも、ドラマは史実以外の部分はフィクションが多分に含まれていますから、100%鵜呑みにすることはできません。実際はどのような人物だったのでしょうか。
 旗印に「風林火山」を用い、有能な武将であったことはことは間違いのないところだと思いますが、領主としても領民のために巨費を投じて治水工事を成し遂げたりしています。
 戦国時代の武将・領主としては当たり前の資質かもしれませんが、有能な軍師など多くの著名な武将を従えていたところから見て、決して軽佻浮薄ではなく思慮深い人柄だったことも窺えるところです。
 甲州はワイナリーで試飲したり、信玄の隠し湯に浸かったりした旅を何度かしたのみですが、一度、腰を据えてじっくり信玄公の人物像に触れる旅に出たいと思います。

 さて、中央線も一旦一区切りです。松本方面は別の機会として、明日は小休止で予讃線の高松・・・玄関じゃなくなった・・・

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969 速くなれなれ酒折

”今の世に風の如くの早駆けを甲斐のならひと襷を繋ぐ”

 箱根駅伝に代表される大学の陸上競技、毎年多くのドラマが繰り広げられていますが、そこには歴史あるレースでその創世記から現在に至るまで出場を続けている伝統校の裏打ちされた実力と共に新勢力の台頭があります。
 創立そのものが新しい学校でも、著名な指導者を招き、全国から優秀な学生を集めれば比較的短時間でその学校の実力は向上するかもしれません。
 昭和60年代に入って大学陸上界に彗星の如く現れた山梨学院大学は、国内はもとより海外からの留学生を積極的に受け入れてきました。アフリカなどからの留学生を代表選手として出場させたのは山梨学院が魁かもしれません。
 山梨学院大学は戦後間もなく創立した女子短期大学がルーツになりますが、山梨県の大学といえば国公立の山梨大学と都留文科大学くらいしか思い浮かびません・・・失礼・・・
 現在は少子化で各大学とも学生の募集に心血を注いでいます。都市部のように学生を集めることが容易ではない地方の私学ではその苦労も一入かと思います。
 そうした中にあって、陸上競技部の活躍や法科大学院の創設など時代のニーズにあったカリキュラムや学科の創設に工夫を凝らしています。
 そんな山梨学院大学は酒折駅が最寄り駅です。

 さて、次回は甲府・・・風林火山・・・

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968 畑から石和温泉

”一面にたわわの果実稔る野に湧き出でし湯は街を潤し”

 元は石和という駅でしたが、平成5年に「温泉」が付されました。更なる観光客誘致が目的だったのでしょうか。
 甲府盆地は山梨県の中で唯一の平地といってもいいと思います。そうした貴重な平地ですから古くから農業が盛んに行われていました。
 石和周辺もそうした農地の一角を占めていましたが、昭和30年代中頃に突如果樹園から温泉が湧き出しました。
 丁度、戦後の復興期から高度経済成長期へと移行する時期で、また、東京から近いこともあって手頃な温泉場として急速に発展しました。規模としては関東近辺で熱海に次ぐ温泉街があるということです。
 県庁所在地の甲府からも至近で中央線の駅から温泉街が近いこともあって、商用で甲府に訪れたビジネス客も宿泊していたのでしょう。
 最近、週休2日制などの影響で職場の慰安旅行が減ってきています。かつての石和はその慰安旅行のメッカでしたが、最近ではめっきり減ってしまっていますから、果物狩りとの組み合わせなど新たな観光客誘致に色々と策を講じているようです。
 首都圏からも近い温泉場ですから、週末の仕事帰りに特急電車に乗ってひとときの癒しに向かうのも悪くないと思います。

 さて、次は酒折・・・速くなれ・・・

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967 別田から変わった春日居町

”暑き日の暮れて涼やか山風に乗りて蛍は郷に舞い立つ”

 春日居町は開業当初は駅が置かれている町名をとって「別田」という名でした。それがJR発足後の平成5年に当時の春日居町に所在する唯一の駅ということで春日居町に改名されました。
 せっかく自治体の名を駅名にしたのですが、春日居町自体が平成の大合併の一環で笛吹市に編入されてしまいました。
 甲府市に隣接する笛吹市ですが、この辺りはもう甲府盆地の中にありますから、甲州の風を身近に感じることができます。
 地方にはその気候風土にあった麺類が存在します。蕎麦やうどんでも打ち方や食べ方に工夫を凝らしていますが、麺そのものが土地を代表する変わった食べ物である場合もあります。
 甲州の名物のひとつに「ほうとう」があります。「甲州名物カボチャのほうとう」と銘打って人気があります。
 きしめんよりももう少し太い感じのほうとうは、野菜たっぷりの具材を加えて鉄鍋で煮て出されるのですが、カボチャの甘みがアクセントになっていて、身体も温まりますし栄養のバランスもよく風邪の予防にもなりそうで、今の季節にはピッタリです。
 かの武田信玄公も好んで食していたとされていますが、夏の暑さに負けないくらい冬の寒さも厳しい盆地の気候に適しているように思います。
 最近では首都圏でもほうとうを出す店があるようですから、身近で手軽に食べられそうです。

 さて、次回は石和温泉・・・出た!・・・

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966 市名主張の山梨市

”軽やかな笛の音遙か風の中早瀬に聞こゆ春の足音”

 「ヒャラーリ ヒャラリーロ ヒャリーロ ヒャラレーロ」の主題歌を懐かしく感じる方も多くいらっしゃると思います。もちろん筆者よりももっともっと上の世代の方だと思いますが・・・
 冒険活劇といったジャンルが戦前・戦中派の方にとっては懐かしい響きを持っているのではないでしょうか。
 冒頭の主題歌はそうした冒険活劇のひとつ笛吹童子の主題歌です。戦後になって映画化されたりテレビドラマ化され人気を博していた作品ですが、筆者にとってはリアルタイムではありません。それでも2度目のテレビドラマ化は昭和40年代半ばでしたから多少は記憶に残っています。
 物語の舞台は15世紀の半ば、応仁の乱が終わったあたりです。萩丸と菊丸の兄弟が他行中に城主である父を策謀で失います。兄弟はその首謀者から、奪われた満月城を奪還すべく力を合わせて戦うというストーリーです。
 兄の萩丸は武芸に秀で、弟の菊丸は笛に秀でていて、その笛を吹く様からタイトルの笛吹童子になったものと思われます。
 山梨市を流れる大きな河川笛吹川を、中央線は山梨市駅を出たところで渡ります。そんな川の名前から笛吹童子を連想しました。
 県庁所在地ではないものの、県名と同じ市名ですから、その市の名前を主張するように駅名に「市」が付されているのでしょうか。

 さて、次は春日居町・・・甲州名物は・・・

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965 仮設みたいな東山梨

”山肌はグルッと三百六十度暑さ寒さもつとに際だつ”

 鉄道にはある一定の時期の繁忙期だけ営業する臨時駅というのがあります。よく知られているところでは常磐線の「偕楽園駅」が観梅の期間だけ営業することや、上越線の「岩原スキー場前駅」に、仙山線にあった「面白山仮乗降場駅」です。
 そうした臨時駅は、季節営業ですからそれほど本格的な設備を施しているということではなく、相対式や1面の臨時ホームと仮設の駅舎が設けられている程度です。
 最近では上越新幹線の「ガーラ湯沢駅」のようにスキー場と連携した大掛かりな臨時駅も見受けられますが、そこは新幹線ですから在来線の臨時駅とは一線を画していると思われます。
 臨時駅とはいかないまでも、急激に人口が伸びてきたり、新たな企業が創業したりする場合に駅が設置される場合がありますが、地方路線の場合には大掛かりに駅を設置するのではなく、無人駅として臨時駅張りに簡素な佇まいで設けられることもあるようです。
 山梨県の県庁所在地は甲府市ですが、その甲府近辺の企業で働く人々が山梨市などの近隣に住居を構えることも多かったとみえて、その通勤の利便性を確保するために設けられた駅が東山梨です。
 線形を変えることなく設置するには相対式のホームに限りますから、少し幅の狭い簡素なホームが設置されていて、さながら臨時駅の趣を呈しています。
 夏は暑く冬は寒さの厳しい盆地ですから、電車を待つのも一苦労かもしれません。

 さて、明日は山梨市・・・踊りたくなる・・・

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964 塩山の雛壇

”乗り継ぎの間に駅前の雛屋敷見目麗しき内裏雛見ゆ”

 医薬の進歩は目覚ましいものがあって、年々歳々新しい薬が開発されています。実際の臨床に適用されるまでにはそれ相応の時間がかかり、その都度、承認手続の遅延を巡って論争になっていたりします。
 最近の薬は化学薬品を調合したものが主流ですが、東洋医学で用いられる漢方も少しずつ脚光を浴びています。
 化学物質で組成された薬にはそれなりの副作用が伴いますが、漢方ではそれほど強い副作用もないこところが見直されている所以かもしれません。
 漢方薬は江戸時代には多くの医師が使用し、小石川養生所などでは栽培も盛んに行われていましたが、現在も薬学の分野ではその研究が盛んに行われています。
 江戸時代に漢方薬の一種であった甘草を栽培していた高野家は、山梨県の塩山にあって、その旧宅が塩山駅前にあります。
 苗字帯刀を許されていただけあって、広大な敷地に立派な屋敷を構えていて、現在では国の文化財に指定されています。
 筆者も、一度高野家を訪ねたことがありますが、邸内には「吊し雛」と呼ばれる独特の雛や何段にも重ねられた代々の雛人形が展示されています。
 丁度、塩山駅のロータリーに面する場所にありますから、塩山駅で普通列車を乗り継ぐ際には途中下車しての見学もいいかもしれません。
 塩山駅は中央線の中の拠点駅ですから、折り返し電車も発着したり特急も停まる駅になっています。

 さて、次は東山梨・・・仮設かな・・・

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962 甲斐大和の葡萄酒

”陽に翳す淡き紫軽やかにライトボディの若き酸味は”

 もう少しで甲府盆地に入る甲斐大和は笹子トンネルを抜けたところにあります。この駅から甲府に向かってはまだまだ山中の難所を通ることになりますが、トンネルを掘るに際して一番の難敵が地盤の強弱です。地盤が強すぎれば難工事になり、弱すぎれば崩落の危険があります。
 甲斐大和を出て甲府方のトンネルに至るルートは2度変更されています。地滑りの危険があったためにトンネルを掘り直したりして現在のルートに至っていますが、複線化の場合、安定した地盤に2本分のトンネルを掘るためには高い技術が必要になります。開通当初にはなし得なかったところですが、その後の詳細なルートの見直しと技術進化があって開通した新深沢トンネルが中央線の現在のルートです。
 旧線のトンネルは今でも残っていて、その一部は甲州名産品のワインの貯蔵庫になっているとのことです。
 筆者は、酒類の中ではワインが一番好きですが、中でも赤ワインが好きです。ヨーロッパを中心として世界各地で生産が盛んに行われていますが、日本の代表的なワイナリーは山梨県の甲府盆地エリアに集中していて一大生産地になっています。
 ワインに限らず酒類の貯蔵には安定した気温や湿度の管理と遮光が必要になりますから、トンネルは貯蔵庫としてはとても適していると思います。
 鉄道好きのワイン好きとしては、鉄道トンネルで貯蔵したワインを是非賞味したいところです。

 さて、次回は勝沼ぶどう郷・・・ワインの原料・・・

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961 長い暗闇笹子

”山越える知恵は様々ジグザグの駅の名残を探し求めて”

 鉄道旅行、汽車旅の楽しみといえば様々に移り変わる車窓を眺めることといっても過言ではないと思います。
 海岸線に山岳路線、河川沿いに湖岸を走る路線、日本の鉄道は様々なシーンを演出しています。
 「汽車 汽車 シュッポ シュッポ」で始まる童謡の歌詞にもありますが、その車窓の中でも鉄橋やトンネルは魅力が倍増する気がします。
 山の多い国土ですから、必然的にトンネルや鉄橋が多くなりますが、このため鉄道開通以降架橋やトンネルの掘削技術は急速に進歩し続け、現在では押しも押されもしない世界有数の土木技術を誇っています。
 現在では、山岳路線に限らず、海底をも貫き本州と北海道・九州が1本のレールで結ばれるようになっています。
 中央線は山岳路線ですから、トンネルが多く掘られていて、特に高尾から甲府盆地に至る区間に集中しています。
 中でも長いトンネルが笹子トンネルで上り線の新笹子トンネル共々5キロ弱の長さがあり、中央線を代表するトンネルになっています。
 笹子駅も上り勾配の途中にある駅で、かつては初狩駅と同様にスイッチバック方式の駅になっていました。

 さて、次回は甲斐大和・・・葡萄酒は何処に・・・

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960 スイッチバックだった初狩

”旧札の裏に聳える富士の嶺に相見えむと暁に立つ”

 山岳地帯の多い日本では、山に挑む鉄道の敷設が課題でした。自動車に比べて摩擦係数の小さい鉄道は道路に比べて勾配を緩くする必要があります。また、曲線も車に比べて大きな半径が必要になりますから九十九折りのような山道にするわけにはいきません。
 急峻な山に登るための手法としては、かつて碓氷峠に敷設されていたアプト式鉄道や上越線に見られるループ線に箱根登山鉄道のようなスイッチバック方式があります。
 アプト式は現在の日本でみることはできませんが、スイスなど海外では現在でも使われています。
 現在の鉄道車両は走行性能やブレーキ性能が向上し、従来よりもきつい勾配の行き来ができるようになりました。
 その結果、かつてJR線にも随所に見られたスイッチバックは姿を消しつつあります。スイッチバックは進行方向の入れ替えが必要なりますから時間的なロスを伴うので、その解消のために車両の技術革新が必須だったものと思われます。
 中央線も山岳路線ですからいくつかのスイッチバックがありましたが、初狩駅もそのひとつでした。
 初狩駅は大月駅の隣の駅ですが、大月から河口湖に向かう途中にある三つ峠山から見た富士山は、かつての500円札の富士山が描かれた場所とのことで、筆者の年代にとっては懐かしいデザインです。

 さて、次回は笹子・・・山岳路線の宿命・・・

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959 富士五湖分岐の大月

”一度だけやってみたくて終点へ プチ造反の乗り過ごし旅”

 河口湖、本栖湖、西湖、精進湖、山中湖、これら5つの湖を総称して富士五湖といいます。いずれも富士山の過去の噴火に伴ってできた湖でそれぞに魅力があって多くの観光客が訪れます。湖越しに富士山を見たり、また湖面に映る富士山も一見の価値があります。
 そのうちの河口湖は富士五湖の中で一番多くの観光客が訪れるのではないでしょうか。その理由としては公共交通機関のアクセスがいいことや、大規模なレジャー施設が近隣にあることが挙げられると思います。
 大月から分岐する地方私鉄の富士急は、河口湖に通じる路線で観光客の誘致に一役買うようなリゾート列車も走らせています。
 JR線との乗り入れもあって週末には直通の快速電車が走るほか、平日でも通勤快速などが乗り入れています。
 以前は郊外を走る115系などの乗り入れでしたが、最近では中央快速線のE233系が東京駅から走っています。
 この中央快速は河口湖へも乗り入れますが、朝夕には大月折り返しの電車も走っています。運転本数はそれほど多くはありませんが、大月辺りまでが今後通勤圏として更に発展していくのでしょうか。
 あさ9時過ぎに東京駅を発車する大月行きの快速電車がありますが、東京駅を利用している筆者は、時折サボってそのまま大月まで行ってみたい衝動に駆られます。

 さて、次は初狩・・・スイッチバック・・・

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958 モノレールがあった猿橋

”俊足の振り子の「あずさ」キビキビと谷のカーブを軽やかに行く”

 日本三奇橋と呼ばれているものがあります。それぞれに構造などに特徴があってその架橋の手法が変わっているものを指しています。
 「岩国の錦帯橋」、「木曽の棧(かけはし)」そして「甲斐の猿橋」ですが、筆者が実物を見たのは岩国の錦帯橋のみです。
 山岳国の日本は山から流れ出る河川が多く、その架橋技術は古くから定評があったものと思われますが、現在の土木技術でも世界に名だたる橋が架かっていて、その美しさに見惚れることもあります。
 甲斐の猿橋は相模川の上流に架かっていますが、急峻な山に囲まれた谷川に架かる橋は谷底からの高さがかなりあって、橋桁を立てることが困難だったことから、岸からはね木を伸ばして架橋しています。そうしたことから日本で最初の「はね橋」ともいわれています。
 猿橋駅付近にも四方津駅と同様甲府に向かって進行方向右側の山上に、宅地が開発されています。
 そして、駅から住宅地に向かって当然に急な斜面になりますから、住民の利便性を図るために斜面を楽に行き来する手段としてモノレールがありましたが、不具合が多く、現在は斜行エレベーターに代わっています。

 さて、明日は大月・・・富士五湖への道

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957 鳥沢は小さな宿場町

”谷底の街道筋に早々と日は翳りゆき襟元合わす”

 千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館で、かつて筆者は江戸時代の旅籠の夕食のサンプルを見たことがありました。
 旅籠は江戸時代に街道を行き来する旅人達が宿泊した現在でいうところの旅館やホテルになりますが、目的地まで徒歩で向かう旅人にとって現代にも増してその重要性は高かったものと思われます。
 明治時代以降の近代化に伴って、街道沿いの旅籠は次々に衰退してしまいましたが、旧道沿いの面影が今でも色濃く残っている妻籠(つまご)宿などでは往年の旅籠の建物が残っています。
 現在では旅館やホテルで相部屋になることは希ですが、江戸時代にあっては割り増しに相当高い料金を支払わない限りは相部屋で過ごすことになったようです。
 もっとも、現在の旅行のように旅館やホテルを起点に観光やビジネスに出かけるのではなく、ただ単に旅の途中に一夜を明かすための施設ですから、寝る場所と食事が供されれば充分だったとも思われます。
 冒頭に触れた旅籠の食事のサンプルは一汁一菜でとてもシンプルなもので、何十キロも歩くために必要なエネルギーを補うには少し足りないような感じがしました。
 鳥沢駅付近は甲州街道に沿っていて、往年の旅籠の建物が今でも残っている長閑な風景があります。

 さて、次回は猿橋・・・山の我が家に返る手段・・・

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956 少し寂しい梁川

”隧道を貫き山をひとつ越へふたつ越えつつ甲斐に向かはむ”

 かつて貨物列車には最後尾に車掌が乗っている形式「ヨ」がついた緩救車が連結されていて、どの貨物列車にも車掌が乗務していました。現在は貨物列車への車掌の乗務はなく現役の緩急車を見ることができなくなりましたが、筆者は中でも「ヨ3500」という形式の緩急車が好きでした。
 廃車になった緩急車は第二の人生として無人駅の駅舎などで使われていました。無人駅はローカル線などで多く見かけますが、運転間隔の開いている路線で待合室として使用するには手頃だったのかもしれません。
 それでも、貨車を改造した駅舎は鉄道ファンには受けがいいものの、防寒対策などを考慮するとやはりそれなりの建物であった方がいいとも思われます。
 最近では無人駅の駅舎も様々な工夫があって、地元の自治体などとタイアップしたイベントコーナーや、喫茶スペースに食堂などが併設されているものもあります。
 デザインも工夫が凝らされていて、このあたりは駅舎マニアには堪らないところかもしれません。
 少し寂しい感じもする梁川(やながわ)駅ですが、その駅舎はログハウス風で山岳路線の駅に相応しい感じがします。

 さて、次回は鳥沢・・・山間の宿場・・・

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955 四方津の我が家へはエスカレーターで

”山開き駅上に立つ我が家までベルトに凭れ帰りゆく夜”

 このブログでも何度か触れてきたところですが、首都圏の通勤圏といえばかつては旧国電区間でした。
 高度経済成長を過ぎオイルショックを過ぎても首都圏都心部の一極集中は避けられず、旧国電区間では流入人口を受け止められない状態になっていました。
 宅地はどんどん郊外に拡がり、現在では東海道線、横須賀線、高崎線、宇都宮線、常磐線、房総各線の郊外路線沿線まで人口が急増しています。
 各線も通勤路線と化して、過密ダイヤを組んだり、長大編成の電車を運行しています。座席のロングシート化もその一環かもしれません。
 そうした中で中央線だけは旧国電区間の高尾以遠の宅地開発がそれほど進んではいませんでした。
 それは、高尾を出ると急峻な山間の谷底を走る路線ですから駅周辺に広大な宅地を開発する場所がなかったことが一因のようです。
 ところが、この四方津駅周辺に大きなプロジェクトが入って宅地開発が進められました。駅の北側は直ぐに山の斜面になりますが、その山の上に宅地が設けられました。当然に駅への行き帰りは坂道の上り下りになり、距離はさほどなくとも毎日のこととなると住民には負担になりますから、この宅地を開発したデベロッパーは駅から宅地までの斜行エレベーターとエスカレーターを設置して利便性を確保しています。
 今では東京直通の快速電車も走りますから、以外に快適な通勤ができるかもしれません。

 さて、次回は梁川・・・無人駅の風景・・・

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954 高速見上げる上野原

 
”信濃路へ向かふ山の端橋架ける中央道を見上げ進みぬ”

 中央高速道を走っていると、遙か下を通っている中央線の線路が見えます。高尾を出て俄に山間の景色が色濃くなってきますが、高速道路は上を通っているものの中央線は谷底を走っているイメージがあります。
 高速道路の方が鉄道よりもだいぶ後から建設されていますから土木技術が進んでいたことも考えられますが、道路に比べて鉄道の方が勾配を緩くせざるを得ない事情もあるのかもしれません。
 テレビやラジオでお馴染みの交通情報、朝は都市部へ向かう上り線の渋滞の様子がつぶさに伝えられます。
 休日や夏休み、そして年末年始になると行楽地などに向かう下り線が様々な場所で渋滞します。
 中央高速も激しい渋滞を起こしますが、かなり厳しい上り坂が続くことで自然に速度が落ちることや、次々に続くトンネルでの減速が原因であるともいわれていて、中央高速には「速度低下」を注意喚起する標識もあります。
 中央高速の渋滞情報が伝えられる場所としてよく耳にするのが小仏トンネル付近や上野原バス停付近です。

 さて、次は四方津・・・エスカレーターで・・・

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953 谷底の藤野

”家の灯も間遠くなりし谷底を古き電車はガタゴトと行く”

 高尾を出た中央線は、本州の背骨に向かって急峻な勾配を登っていくことになりますが、藤野辺りではまだまだ山の麓を走っている感があって、所々両側に山が迫っている区間もあるので谷底を走っているという感じがします。
 相模湖駅に続く藤野駅、この2駅は中央線の中で数少ない神奈川県に所在する駅です。神奈川県というと海に面しているイメージがありますが、相模川の上流である相模原市の最深部は中央線沿線にまで食い込んでいます。
 中央線は元々単線で開業し、山間の狭い敷地に線路が敷設されていましたから、現在の複線化に際しては相当の苦労があったようです。上下線が離れている箇所やトンネルや鉄橋が別に掘られたり架かっているところも随所に見られます。
 藤野駅も複線化されて1面2線になっていますが、元々の敷地が狭いため、ホームの端の部分では上下線が互い違いに停まる構造になっています。高尾から発着する4両編成程度の普通電車であれば問題はなかったのですが、大月まで乗り入れる快速電車は10両編成になりますから苦肉の策ともいえそうです。

 さて、次回は上野原・・・渋滞が起こる・・・

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952 相模湖でヨセ

”弁当を購ひをればヨセと云ふ駅夫の声は昔語りに”

 今回から中央線を甲府まで進みます。
 そしてブログの様相も少し変わります。文章は若干短くなるかもしれませんが・・・
 中央快速線は高尾まで既に詠んでいますから相模湖からになります。
 中央線の高尾から甲府方はかつての国電区間から外れていますが、今では大月や河口湖まで中央線の快速電車が乗り入れていて通勤圏になりつつあります。
 それでも、高尾を出ると一気にローカル色が濃くなって、旅行気分が盛り上がってきます。
 相模湖は昭和22年に相模川を堰き止めて作られた人造湖で、戦後初のダムとのことです。現在は相模原市に所在していますが、町村合併以前は相模湖町でした。
 駅は戦前からありましたが、「相模湖」に改称されたのは昭和31年のことで、それまでは「与瀬(よせ)」という名の駅でした。
 駅弁を買おうとすると駅員が大声で「ヨセ〜」という・・・といった古いダジャレを聞いたのは筆者が中学校時代に遠足で相模湖を訪れた際のバスガイドさんの話でした。
 小さな駅ですから駅弁を売っていたかどうかは???
 
 さて、次は藤野・・・神奈川県にある・・・

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951 直角に交わる西宮北口

 一般的に鉄道路線は一つの路線を通しで運行しています。全線を通して運行する列車はJR発足後や新幹線網の整備によって少なくなってきていますが、かつて有名だったのは中央本線でした。
 中央本線は東京から名古屋間を日本の屋根といわれる山間部を貫いて進む路線ですが、その路線を通しで運行する列車は走っていませんでした。
 東京から塩尻(松本)までの中央東線と名古屋から塩尻(松本)までの中央西線とに分かれていて、それぞれ別の運行形態でした。
 JR化後も中央東線部分がJR東日本で、中央西線部分がJR東海となって更に直通の電車が運行されることはなくなってしまいました。
 最も東京から名古屋に至るには最短の東海道本線がありましたから、中央線を完乗する客は鉄道マニア以外にはいなかったようですが・・・

”垂直に交わる駅の雑踏を

    我先に行く木枯らしの夜”

 阪急今津線は宝塚から西宮北口を経て今津に至る全線が10キロにも満たない短い路線です。そんな路線ですが、全線を通して運行する電車はありません。
 阪急神戸線と垂直に接続する西宮北口で分断されていて、同駅と宝塚或いは今津との間で折り返し運転になっています。
 慣例的に宝塚までの線が今津北線、今津までの線が今津南線と呼ばれているようですが、西宮北口ではそれぞれの線のホームが頭端式になっていてとても同じ線とは思えない配線になっています。
 今津線を全線詠み進めるのであれば今津南線の阪神国道、今津の2駅を詠んでいくことになりますが、今回はミーハーの筆者が映画の足跡をたたなぞったということで西宮北口で一旦終点になります。そういうことから今津南線は別の機会になります・・・まだ乗っていませんから・・・

 さて、明日からは前段で触れた中央線を相模湖から・・・止めた方がいい?・・・

Rimg0127 阪急今津線(北線)

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950 門戸厄神の御利益

 筆者は数年前に大厄を了えました。
 男性の厄年は25歳、42歳、61歳、女性の厄年は19歳、33歳、37歳です。このうち男性の42歳と女性の33歳は大厄とされていて、その前後は前厄、後厄ということで都合3年間、厄年ということになってしまいます。
 もちろん科学的な根拠のある話ではありませんが、この「厄年」の慣習は意外に広く根付いていて、厄年に当たる人々は初詣の折にはいつもの年とは別に厄落としのお祓いを受けたりしています。
 筆者も御多分に漏れず、近所神社で厄落としを受け、その功あってか何とか大過なく3年間を過ごすことができました。
 人間はいつ何時も力の限り走り続けることは困難だと思います。走り続けたならば何処かで一度休憩を取らないと心身が悲鳴を上げます。男性でいえば30代の働き盛りを全力で働いてきてそろそろ身体が休憩を取りたがっている時期が厄年に当たる42歳頃なのかもしれません。そうすると厄年も理に適っているように思えます。

”一つ目の駅にて落とす厄払い

  明日の我が身は無事で在りしか”

 門戸厄神は、松泰山東光寺といいます。厄落としの名刹として地元では門戸厄神の名で広く知られています。
 近隣もそうですが、少し離れたところからも阪急電車を利用するなどして多くの参拝客があるということです。
 女性の場合、最近は晩婚傾向にあって出産も遅くなりがちですが、厄年が定着した頃では大厄に当たる33歳は、一通り出産を終えた女性達が身体の変調を感じる頃合いなのかもしれません。
 現在でも30代女性には健診を勧める医師が多くありますから、そうした意味では女性の厄年もそれなりに理に適っているとも考えられます。
 男女ともに、自らが厄年であることを自覚することが大事なようで、その年は自らを大切にすることを意識すれば大過なく過ごせるような気がします。厄払いはその決意の儀式かもしれません。

 さて、明日は西宮北口・・・直角に交わる・・・

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