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167 阿佐ヶ谷辺りで呑んで・・・

 「山椒魚は悲しんだ。」井伏鱒二の名作短編「山椒魚」の冒頭部です。筆者はこの作品を教科書で読みましたが、当時はそれほど理解できなかったこの作品の奥深さも年を重ねるにつれ主人公の山椒魚が我が身とオーバーラップしその哀しみや愚かさが身に染みてきています。
 井伏鱒二は「黒い雨」など様々な作品を生み出した作家として高名ですが、児童文学の翻訳や漢詩の訳でも著名です。「花に嵐の例えもあるが、さよならだけが人生さ」という一説は特に有名だと思いますが、「詩」そのものが伝えたい主題を強引ともいえる訳で表現しているところです。
 唐の高適の漢詩「田家春望」の最終行「高陽一酒徒」は「阿佐ヶ谷辺りで大酒呑んで」と訳されています。本来は「浮世を捨てた大酒飲み」といった感じになるのでしょうか。ともかく漢詩のなかで東京の地名「阿佐ヶ谷」を登場させる辺りは数々の映画の字幕を手がけた戸田奈津子さんも形無しの訳ではないでしょうか。

”若人の秘めたる想ひ満ち満ちて

         明日の舞台を夢見て語る”

 阿佐ヶ谷は作家や俳優、芸人などの文化人の卵が多く住む街とのイメージがあります。貧しくとも情熱だけは人一倍の若い男女が、夜な夜な安酒を傾けながら文壇や演劇界について口角泡を飛ばすように夜明けまで激論を戦わせているようなシーンを想像します・・・多少時代がかっていますが・・・
 そんな激論の舞台はもちろん明るくて小奇麗な店ではなく、少し暗い酒場が似合います。日々働いているごく一般的な社会人とは一線を画した世界がそこにあってそれこそ浮世離れした大酒呑み達の独壇場なのでしょう。そんなイメージのある阿佐ヶ谷を訳に取り入れた作家はやはり偉大だと思います。

 さて明日は荻窪・・・地上駅・・・

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